人生振り返り記録

不思議体験を思い出しながらとにかく書いてみる。

私とは 父親⑥

全てが自分都合の父。

周りの迷惑は顧みなかった。

 

私の家のすぐ横には中学校があり当然私はそこに通っていた訳だが、なぜかその敷地内に父親の会社の車は数台平然と置かれていた。

公立の中学校の敷地を我が会社の駐車場代わりにしていたのだ。

当然何をしなくても私は目立つ存在になる。

私の中学時代は語りたくない程の暗黒時代だった。

私とは 父親⑤

父は関連会社を数社立ち上げる。

固定概念にとらわれないその性格は放置されて育った影響もあるのか、元々の性格なのか分からないが一般的な考え方を持っていないのは確かだった。

あまり多くを語らず野球好きの父。確か巨人が好きだった。夜になると巨人×阪神戦ばかりがテレビで流れた。当然私がみたい番組は見れず、私は野球が嫌いになった。特に読売巨人軍が大嫌いである。

テレビのチャンネル争いで言い合いになった事もある。今となってはどうでも良い事だが、腹立たしかった記憶はのこっている。

 

いつからか夜はほとんどいない日が増えた。

私が高校生の頃には夜はほとんど母と2人だった。いないのが当たり前になり父としての存在感はなくなりつつあった。

 

会合と称した飲み会。

金を持った中年のおっさんが集う夜の街。

ボランティア活動と銘打つライオンズクラブ

 

どれもこれもが薄っぺらで意味のないものに感じる。

 

父よ

 

あなたは最後まで自分勝手でしたね。

 

そんなあなたに似ている私。

 

まったく面倒です。

 

 

 

 

 

 

私とは 父親④

もう他界している父。

 

私はあなたの事を文章にしています。

 

もうすぐあなたの誕生日ですね。

 

そんなに思い出してほしいですか。

 

あなたは今どんな状況なのでしょう。

 

あなたの世界から見た現世はどんな風にみえますか。

 

世の中は大混乱です。

 

人間の欲が招いた現状が今の社会です。

 

大きなうねりの中その姿かたちを変えようとしています。

 

ただただ淡々と見据えるその眼差しが

 

世の中を見透かしていたその眼差しが

 

ただただ懐かしい。

 

生きていたなら82歳。

 

私は何歳まで生きられるでしょうかね。

 

 

私とは 父親③

中学生で下山した父はある未亡人の家で下宿する事になり、後にその未亡人の養子となる。その後は運転免許を取りタクシーやバスの運転手をした後教習所の先生をやって生活をしていた。そして私の母と見合い結婚を果たす。

私には姉と兄がいる。彼らは未亡人が残してくれた家で父と母の4人家族で暮らしていたが私が産まれるとその場を離れ別に新居を構えた。

父は母の兄弟から仕事を分けてもらいコツコツと働いた。一生懸命に働いた結果その仕事は株式会社にまで成長した。

 

と、ここまでが父のサクセスストーリーである。

 

 

私とは 父親②

私の曽祖父(ひいじいさん)は自分の孫を1人で育てることができず再婚する。

この場合、私の父からするとその再婚相手は義理のお婆さんか?それとも義理のお母さんか…。よく分からない。

 

父は山の上の方で産まれた。

 

山の上の方?

 

なんやそれ。

と思うだろうが、ガードレールがない細い山道をただただ上がったところにあるその家は

今で言う『ポツンと一軒家』のような場所で

車で行くには中々の勇気がいる場所である。


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(一度車で落ちそうになった事がある。)

 

曽祖父と後妻さんの間には子供が2人産まれた。父からすれば年下のおじさん、おばさんになるのか?そんなよく分からない血縁関係の中、戦争中でしかも山上に住んでいたこともあり生活は本当に大変だったと話していたそうだ。

父親はその中で愛されて育つ事はなく、まともな食事を与えてもらえなかったようである。

 

父はどんな幼少期を送ったのか

 

それは父が亡くなった時に見ることがてきた。

 

 

 

 

私とは 父親①

私の父親はいわゆる戦争孤児である。

戦争に行った私の祖父は一度生きて帰って来たそうだが、生きて帰った祖父に対し

『生きて帰るとは何事か!!』

と父親に怒鳴られたようで、

『ほな死んだるわ!!』

と、また戦争に志願し戦死したそうである。

 

なんともいえない時代…。

 

その時にお母さんのお腹にいた私の父。

父の母親は産後の肥立ちが悪く、父が生後24日でこの世を去った。

 

そして私の父は戦死するのが当たり前と息子に諭した祖父に育てられることになる。

私とは プロローグ

結婚して22年になる。

結婚する時もその後も振り返ればたくさんの事があった。

私はとにかく縛られる事が嫌い。

特に思考を制限される事が1番嫌いで、

「ああしろ、こうしろ、あれはダメ、これはダメ」

と頭ごなしにギャーギャー言われることが大嫌いである。

身近な大人達はその手のタイプが多く、言うことを聞く子供がいわゆる『良い子』と認定されていた。

 

特に母親に関してはお金で子供を縛り付け自分の思うように育てようとする人だった。

 

 

 

 

 

 

真実③

お約束をした当日お寺に出向いた。

再度写真を持参し事の成り行きをもう一度説明した。

この写真の僧侶はご院家さんの先輩にあたり墓守をしていた人。その墓の敷地内に家がありそこで暮らしていた人物が義理父。前妻さんは墓守をしていた方の姪子さん。おじさんの所にたまに来ていたところ義理父と知り合いになり結婚したよう。

…。

 

早い話が、写真の僧侶さんは私の義理父の前妻さんのおじさん。(お父さんの弟)

 

仏壇にあった写真はお寺さんが預かってくれる事になり仏壇の修繕を済ませた。

 

見えていない世界がある。

世の中には不思議な世界がたくさんある。

 

そんな体験だった。

 

 

 

 

 

 

真実②

義理父の前妻の方のお墓は浄土真宗西本願寺に属している。そこでお寺の住職さんに相談してみた。

事の成り行きを把握して下さった住職さんはその上のご院家さんに確認を取ってくれた。

その方は京都で指導をされている80歳を越えた方だった。その方が写真のお坊さんを知っているとの事。

お休みを兼ねて帰ってきた日にお会いできるようお約束をしその日を待った。

真実①

写真は全部で3枚あった。

1枚目は僧侶。

2枚目は学生服を着た坊主の若者。

3枚目は数名の集合写真。

どれも心当たりがない。

 

分かっていることは、この仏壇には義父の前妻の方が入っていることだけ。

しかし、位牌は二つある。

何故?

その疑問に義父は答える事ができない…。

 

事の真相を確かめる為、義母はお寺に確認をとる事に。

 

 

知らない僧侶

写真の僧侶は、確かに夢に出てきた人だった。黒縁の丸いメガネには牛乳瓶の底を思わせる程の分厚いレンズが入っている。鋭い眼光は俗世に対し何か物言いたげな様子を伺わせた。

 



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(もっと難しい顔をしていたような…。)

 

「…この人、誰かわかる?」

 

お義父さんに聞くが知らない様子。

家の誰もが知らない人。

気持ち悪い…。

 

 

 



 

 

写真①

!!!

 

Σ(⊙ω⊙)  !!!

 

「えっっ!!」

 

2枚目の写真を見て思わず大きな声が出た。

 

この顔!!

 

確かに見覚えがある!

 

夢に見たあの僧侶!!

 

「えーーーっっ!!!」

 

思わず写真を畳に投げ捨てた。

 

かなりの衝撃!

 

ショッキング極まりない!

 

私の確かな記憶、、、間違いではない。

でも、証拠がない、、、

 

(まじか…( °Д°)…)

 

つづく

 

 

 

 

仏壇②

白く小さな包み紙。

恐る恐る取り出しゆっくりと開けてみた。

 

その中には小さな写真が数枚入っていた。それは白黒の証明写真サイズで、最初の1枚目には20代の丸坊主の男性が写っていた。

 

(…キレイな顔やな…)

 

彫りの深いキリッとした表情からは真面目さが伝わってくる。男前の彼。

 

((  -᷄ω-᷅ )💭一体誰だろう…)

 

首をかしげ考えてみたが知る由もない人物。

 

しかし、次の瞬間、私の目玉は大きく見開くことになる。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

仏壇①

お仏壇の拭き掃除をした。

汚れた仏壇を丁寧に拭きすぎて金粉が剥げてしまう

 

(あ…やってしまった…ガーン……(꒪д꒪II))

 

しかし、落ち込んでいる時間はない。

急がないとお坊さんが来てしまう。

気を取り直し引き出しの掃除に取り掛かった時、中に何か白いものが見えた。

 

つづく

 

 

遺影②

「これ誰?お義母さんにそっくりだけど…」

恐る恐るお義父さんに見せた

「あぁ…前の奥さんだ…」

と、苦笑いの表情で呟いた。

(なら、もっとキレイにしないと…)

私は遺影を綺麗に拭き、新品の風呂敷に丁寧に包んだ。

そして、古い欠けた仏具は処分した。

そして私は仏壇の掃除に着手する。

 

つづく